2014年7月16日水曜日

県営釜神町アパート3号棟は日本初のスターハウスか

 西の谷から常磐線の軌道方面に進み、左手にある五本松坂を登ると、右手に古びたアパートが見えます。昭和28年(1953年)に建設された県営釜神町アパートです。完成から半世紀以上経っているため、現在は入居者の募集は停止になっています。
この県営釜神町アパートには、現存している1号棟と2号棟の他に、3号棟が存在していました。1号棟と2号棟の翌年(1954年)に建設された3号棟、もしかしたら日本最古のスターハウスであった可能性があります。


スターハウスとは

いきなりスターハウスという聞き慣れない言葉を使いました。すいません。スターハウスとは、集合住宅の様式の一つです。Wikipediaから引用します。

スターハウスは、団地の中にあるポイントハウスの一種である。星型住宅、星型住棟とも呼ばれる。

Y字型がスターハウスの特徴
言葉だけではわかりづらいと思うので、描いてみました。一般的に、このY字型の集合住宅がスターハウスと呼ばれます。「スターハウス」で画像検索してみると、具体的にどのようなものかわかるかと思います。

スターハウスの建設時期

最も多くのスターハウスを建設した日本住宅公団は、公団で最初の団地である金岡団地(1956年(昭和31年)竣工)への導入を皮切りに、多数の団地にポイントハウスとしてスターハウスを建設した。しかし、昭和30年代後半から昭和40年代にかけて、「複雑な形状であるため多くのコストがかかる」ことと、「大量生産に向かず、住宅の量的要求に答えられない」という理由ため、1964年(昭和39年)12月竣工の名和団地のスターハウスによって、日本住宅公団による中層のスターハウス建設は終了した。
Wikipediaより引用
日本でスターハウスが造られ始めた時期はわかりませんが、スターハウスが数多く造られたのは昭和30年代のことでした。戦後、日本の住宅供給で中心的な役割を果たした日本住宅公団が初めてスターハウスを建設したのは、昭和31年(1956年)だったようです。いざなぎ景気の最中である昭和40年代、住宅大量供給の時代の到来によって大量供給に向かないスターハウスは建設されなくなってしまいました。

釜神町アパート3号棟

アパート配置図。左下には現存しない3号棟が描かれている。
さて、県営釜神町アパート3号棟が建設されたのは、一般社団法人茨城県住宅管理センターのホームページによると昭和29年(1954年)とのこと。日本住宅公団初のスターハウスである大阪府堺市の金岡団地(昭和31年(1956年))よりも2年早く建設されています。日本でスターハウスという様式がいつどこで生まれたかはわからないので、日本初のスターハウスと断言することはできません。ですが、公団よりも先に建設していたということで、3号棟は最も古いスターハウスの一つ、と言ってもよいでしょう。

3号棟跡は更地に
3号棟の取り壊しの時期ですが、これがよくわからないのです。過去の航空写真を見比べてみると、2008年頃に撮影されたものには写っていますが、2011年3月に撮影されたものには写っていません。恐らく2010年前後に取り壊されたと思われるのですが、ウェブ上では資料を見つけることができません。3号棟は人知れず、ひっそりと取り壊されてしまったようです。


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まとめ

1950年代に各地で造られたスターハウスは取り壊されてしまったものが多いみたいですが、近年はUR都市機構の下で、スターハウスを歴史的建造物として保存、再利用する取り組みがおこなわれているようです。このような動きがあるなかで、県営釜神町アパート3号棟が誰にも惜しまれずに姿を消してしまったことは残念に思います。
個人的には釜神町アパートのスターハウスが日本初かどうかという点はあまり気になりません。釜神町アパートや、タウンハウス型住宅の先駆けとなった県営六番池アパートなどの先駆的な住宅様式を県の住宅課が導入することができた背景が気になります。
なお、建築や集合住宅史などを専門的に学習していたわけではないので、知ったかぶりの知識が多いです。まあこの記事に限らず、他の記事も知ったかで書いているのですが。そのため誤った情報が記載されている可能性があります。ご了承ください。

関連リンク

水戸市内の県営住宅一覧(一般財団法人茨城県住宅管理センター)
元祖スターハウス?(近代建築探報):コメント欄で釜神町アパートについて触れられています。ここで日本初のスターハウスではないか、という指摘を見たのが契機となりました。
住宅公団のスターハウスに保存の動き(月刊旧建築)
サンヴァリエ春日丘(UR都市機構):スターハウスの再利用について
県営六番池アパート(団地百景)

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